ふるさと相馬に何を想う

こんにちは

 

暑い7月がやってきました。

 

さて今日は何の日か分かりますか?

 

そうです。

7月11日、ちょうど今日で震災から4カ月になります。

 

ということで、今回は被災地出身の「学生」をとりあげました。

 

私自身今月の初め、相馬に行ってきました。

 

相馬市は原発から40kmに位置しています。

また津波の被害を受けました。

 

震災から4カ月経っているのに、畑には今も、つぶれた車や船が転がったままです。

しかもその畑は海から遠く離れた場所にあるんです。

 

震災から4カ月を経た今、震災に対して再考する機会になればと思って、ブログを書きます。

 

 

石川 拓也さん

 

 

略歴を教えてください。

 

 

小学5年生のときに秋田から相馬に引っ越してきてから高校卒業までずっと相馬で過ごしました。相馬高校卒業後は国際基督教大学(ICU)に進学し、現在二年生です。大学ではバスケットをやってます。

 

 

今回なぜ相馬に帰郷しようと思ったのですか?

 

 

僕は東京の大学に通っているので、東京で一人暮らししています。また震災のときも東京にいました。津波や放射線、学校の授業があったので、なかなか帰る機会がありませんでした。しかし夏休みに入り、帰る機会ができました。なぜこの時期に帰ったかというと、実際に自分の目で自分が育った場所を見てみたかったからです。また実際に震災を経験した高校の友達に会って、話を聞きたいという思いもありました。

 

 

実際に相馬に帰ってきてどのように思いましたか?

 

 

最初は呆然としました。ショックとか悲しいとか恐怖とかじゃなくて。相馬の港は本当に壊滅。自分自身高校まではそこで釣りを楽しんでいたんです。また津波では友達の家が流されていたり。日常が消えていましたね。最初は現実の出来事として認識できませんでしたが、相馬で一週間過ごしていくうちにやっと、本当に起こったことなんだと現実のものとして認識できるようになりました。

 

 

現在の相馬はどういった現状で、どういった支援のニーズがあるんですか?

 

まず東京にいたときに聞いていたことと実際に来て分かったギャップをお話したいと思います。僕は相馬のボランティアセンターに行ってそこの事務所の方に話を聞く機会を持ちました。東京では、ゴールデンウィーク以後、ボランティアの数が減ってきている。震災への関心が風化しているのではないか?といったことを聞きましたが、相馬ではボランティアの数は必要数に足りているようです。また確かにボランティアの数は減ってきていますが、それは逆に良いことで、復興に向かっているがゆえにボランティアへのニーズが減ってきているということでした。また東京にいると被災地を一つとしてとらえがちですが、被災地といっても様々な地域があるわけで、支援はその地域にあった支援を展開していく必要があると実感しました。

相馬市に関してですが、現在も瓦礫の撤去、写真の洗浄のボランティアは募集していますが、数は多くはないです。相馬では瓦礫の撤去についてはひと段落がつきそうで、避難所も解散しました。

今ちょうど、仮設住宅への入居を開始したところです。今後求められるであろうニーズとしては、仮設住宅に住む人たちのケアであるとボランティアセンターの方はおっしゃっていました。

相馬は津波の被害が甚大でしたが、そのほかにも見えない被害があります。放射能です。相馬市は原発から40kmの位置にあります。現在どのくらいの影響があるのか全く分かりません。そこも少し心配ですよね。原発に近い南相馬市の避難区域の人を相馬市は受け入れています。

 

 

今後どのように故郷と関わっていきたいですか?

 

 

個人的に何か直接、相馬に対してアクションを起こそうとは思っていません。ボランティアセンターの人の話を聞いて、相馬に関しては支援のニーズが小さくなっていることを知ったからです。しかし自分が見たこと、聞いたことを他の人に伝えていきたいと思います。そしてそういった知ってもらえるようなアクションを現在考えているところです。

 

 

最後にブログを見ている人にメッセージをお願いします。

 

 

ボランティアではなくても、実際に被災地に足を運んでほしいと思っています。そこで震災というものを自分の目で見てほしいと思っています。

また相馬のボランティアセンターの方に言われた言葉がすごくうれしかったので紹介します。

 

相馬には国内外問わず、様々な人の支援、ボランティアによる協力がありました。そういった人たちの思いは相馬に届いています。本当にありがとうございました。

 

 

(写真 原発から20km地点南相馬市 彼が立っているすぐ後ろに検問がある。彼が言った避難区域のライン20kmと今立っているここは何が違うんだろうね?といった言葉が印象的であった。)

 

 

文責 山田